「黄蝶南天舞踏団」現身広島!
秦かのこ
黄蝶南天舞踏団は、筆者が、1998年から台湾に渡り、台湾で結成した舞踏団です。この度、広島のカフェテアトロ・アビエルトに招かれ、初めての日本公演が実現することになりました。
本公演は、台湾の死者を弔う儀式から発想を得ました。台湾に限らず、アジアの葬式には、古代から受け継がれた呪術の要素が多く残されています。野辺送りに死者を慕って泣く哭き女「孝女」、祭壇の前で踊るアクロバティックな「牽亡舞團陣頭」、お盆になると廟の中では、電飾で彩られたトラック(電子花車)の荷台で、若い女達が肌を露に踊り、ポールダンスの競演が繰り広げられます。
古代から形式は移り変わっても、舞者が死者を弔うために歌舞を捧げ、舞者の身体がその憑代(よりしろ)となることに変わりはありません。
『祝告の器』は、死者を迎え入れその憑代となる、踊り手の身体を表す言葉です。私がそのような身体を目指すのは「死者たちの死に様がそのようでなかったかもしれない。その可能性を探ることが、死者たちとの対話になり、その言葉が未来に向けて語られる」からです。死者の想念をこの身体に宿すとき、生者の身体は死者にとっての「遺体」だと言えるかもしれません。人は「遺体」を生き、ここに生者と死者の行き交う器としての身体が可能となります。人はみな「遺体」を携えて生まれてくるのです。
今年は、7月31日から一ヶ月間が台湾のお盆にあたります。お盆の一週間前から、廟や家々では、あの世のお金(冥紙)を燃やし、死者を招く準備が始まります。黄蝶南天舞踏団は、7月26日から30日までの5日間、台北郊外のハンセン病療養所「楽生院」の納骨堂横に仮設テントを建て、招魂の奉納公演を行ないます。「楽生院」は、台湾の日本統治時代の1930年に建てられ、日本のハンセン病療養所と同様に、政府の進めるハンセン病者の人間存在性を無視した隔離政策が1970年代まで続きました。2000年代に入り、台湾政府は楽生院民に対して、地下鉄路線の延長に伴う立ち退きを強制し、入所者は慣れ親しんだ土地を追われる事態となりました。黄蝶南天舞踏団はこの立ち退きに反対し、表現による抵抗運動を行なってきました。現在は、削られた山の斜面に移設された納骨堂を拠点に、たった30パーセント残された敷地で、楽生院が新たな共同体に生まれ変わる可能性を模索し活動しています。
台湾公演を終え、すぐ広島へ向かいます。8月6日と7日に公演させて頂きます。広島の地において、3月11日の東北関東大震災で亡くなられた多くの方々に、私たちの踊りを捧げます。
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