2013年8月14日 星期三

2013/08/21「黃蝶南天伎藝眾‧樂生中元祭」行動序文(文/秦KANOKO,日文版)


台灣海筆子 企劃  

黃蝶南天 製作

2013821 水曜日 18:30

樂生院舊大門前(新北市新莊區中正路796號)

 

「黃蝶南天伎藝眾樂生中元祭」

 

行動序文(文/KANOKO

 

今年の4月、東京に近い山間の小さな村から、娘三人を連れて沖縄に移住した。朝6時に起床すると、間もなく米軍の戦闘機が轟音とともに美しい沖縄の空を切り裂いて飛んでいく。毎朝、この音を聞くたびに屈辱をかんじる。普通の日常の暮らしが戦闘訓練の暴力の下で始まる異常さ。しかし、この異常が世界の現実だ。国益のために政府やメディアから見ぬ振りを強いられ、自ら見ないことに慣れてしまう本土での暮らしに比べて、皮肉なことにここからは物事がよく見える。それだけ沖縄への米軍基地負担の押し付けはあからさまだ。

 

私の住む糸満市は沖縄本島の最南端に位置し、アジア太平洋戦争末期、日本では唯一、民間人を巻き添えにして地上戦が繰り広げられた沖縄戦が終結した場所だ。沖縄戦の犠牲者20万人余の名前を刻んだ「平和の礎」があり、日本軍兵士らが自決した場所、民間人が米軍の射撃や火炎放射で焼かれ殺され、日本軍に虐殺され、集団自決を強いられて亡くなった場所、至る所に慰霊碑がある。ただ美しいはずのこの土地の景色はとても悲しい。この悲しい風景は、悲惨な死を消されてなるものかという死者の想念が形作っている。正確には沖縄の人々が死者を忘れることを許さない。「死の匂い」を消さないのだ。或は、消しきれない死がまだそこここにあるからかもしれない。68年経った今も沖縄戦戦死者の遺骨収集は続いていて、毎年70柱もの遺骨が新たに見つかっている。沖縄は本土の捨て石になり、本土決戦を遅らせるためだけに多くの人々が犠牲になり死んで行った。この差別の構造は今も変わっていない。何も変わっていないことを死者とともに確かめ、死者の無念さと共に闘っている。

 

長い間、台湾において地下鉄建設に伴う楽生院ハンセン病療養所の取り壊しに反対してきたが、とうとう楽生院に地下鉄が開通してしまった。今も車両を引き込む倉庫部分の建設は昼夜を問わず続いている。深く掘削した地面からは地下水が吹き出し、両側の斜面は常に崩れ落ちている危険な状態だ。この場所にもたくさんの無念な死があった。「死の匂い」がするハンセン病療養所は近隣住民には厄介である。当初、楽生院と交通局の間で約束されていたという「楽生院」という地下鉄駅名は、「回龍」になっていた。地下鉄構内には楽生院の説明はおろか、案内板には今もわずかに残る楽生院居住区すら記されていない。国家は社会からも歴史からも楽生院を徹底的に消し去ろうとしているのか。楽生院民は市民社会の豊かさと便利さのために、生活を破壊され命まで切り縮められている。楽生院で亡くなった二千人余の死者たちが、近代に国家の誤った政策によって強制隔離された時と何が変わっているのだろうか?差別の構造はいまも続いている。

 

今年の台湾のお盆中元節に、私達は『楽生院中元祭』と称して歌舞を行なう。2005年から楽生院とともに、抵抗の象徴だった納骨堂前の大樹下、取り壊された「中山堂」、新しく定めた「新納骨堂」を拠点に抵抗の表現行動を展開してきた。今回初めて、楽生院中元祭の横断幕を掲げた花車(舞台装置と装飾を取り付けたトラック)に乗って、楽生院の外へと進攻することになった。本来、花車は"苔疙鬼(中国語で地縛霊)"を引き連れて歩くという。台湾語では"有痲瘋的鬼(ハンセン病の霊)"という。私たちはチラシに楽生院の歴史を書いて、地下鉄を利用する近隣市民に配るつもりだ。私たちの行動が、地下鉄のどこにも記されていない楽生院の案内板になることを願っている。

 

2011年、楽生院で舞踏公演『祝告の器』を行なった際、自救会会長の提案で、日本統治時代になくなった納骨堂に位牌の無い日本人の名前を死亡名簿から抜き出し、納骨堂に名前を書いて供養をした。その後、黄蝶南天舞踏団最年少の踊り手が、不完全だった楽生院の死亡者名簿の整理を申し出た。不確かな部分は楽生院民から聞き出し、最終的に新しい納骨堂の骨壷の上にある文字と照らし合わせ、二千名余の名前、生年月日、没年月日、入所日、出身地、死亡原因をコンピュータに入力し新たな死亡者名簿を完成させた。そして名簿には今後も名前が書き加えられていく。今回の中元祭は、死亡者名簿が完成したら同時に黄蝶南天の舞踏を奉納してほしいという、彼女の要望に応じたものだ。

 

この一年間、彼女は一字一字間違いの無いよう文字を打ち、楽生院で亡くなられた方々と対話をしてきた。二千人余の死者と命を交換するような作業だったという。どのようにしても呼び戻すことの出来ない人の生と向き合うことは、時に、逃げたくなるほどだったと。そして、自分自身が何故、楽生院に執着し逃れられないのか。どれほどの意味がこの楽生院にあるのかを問いながら。今回、集結した踊り手、歌い手たちも自問自答してほしい。なぜ、あなたは楽生院に執着し関わるのかと。

 

更多的訊息請至:


青年樂生聯盟部落格 http://happylosheng.blogspot.tw/

相關詢問,請寫信至asiabaroque2009@gmail.com 或電洽0953-008-122

 

沒有留言:

張貼留言